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この文章のタイトルは、お読みになるアナタが決めてください(静岡市・一瀬 剛さん)

今回は特別に、運営委員に参加にあたっての思い、参加して学び得たものなど、マネ友にご寄稿いただきました。
 
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【部会参加当時】
 
 私が参加した2011年度は21自治体だけの参加でしたが、幹事団も含め参加者全員が毎回、東京、熊本に集まるとても贅沢な時間でした。なお、当時は運営委員という制度がありませんでした。(緒方幹事が同期です)
 
 
【部会参加終了直後】
 部会参加後というのは気持ちがHIGHになっています。これは一過性のHIGHといえるのかもしれません。
 こうしたときに考えがちになるのは“自分への付加価値”だと思います。部会で学んだ自分は今までとは違うという思い。
ややもすると周りの人とは違うという思いも強くなるかもしれません。
 
何かやらなければという使命を感じたりするかもしれませんし、何かやってみたくなり、実際に動くという方も多いことでしょう。
正直、私も色々やり(やらかし)ました。
 
 インフォーマルをどうしたらオフィシャルにすることができるのか?などは誰もが悩み、もがく部分で、これはもう通過儀礼のようなものかもしれませんね。
 
 
 
【運営委員を志したきっかけ】
 2014年度から各地方会場でマネ友の部会見学が認められ、その翌年度から運営委員制度ができ、早速拝命して以来、今まで続けています。
 私が部会参加後、常に思っていたのは自分が書いた論文を嘘にしないことです。
当時は今のように共同論文ではなく1人1論文でしたので、特にそう思えたのかもしれません。
 自分が書いた論文と日々の業務の実践をつなげる“橋”のようなものを運営委員として学びたいと思ったように記憶しています。
 
 
【動機① 戻るポイントとしての部会】
 私たちには人事異動がありますので、自分がいつ組織改革のオフィシャル的な立場になるかなんてわかりませんし、今年私がその立場になるとは思っていませんでした。(下水道BCPやっています)
 
 何か新しいことを始める、止まっているものを動かす、業務でモヤっとする、迷う、そんなときに戻ることができる場所が部会の教えかな?と思うことはよくあります。
 実際に今年度当初、私が真っ先にやったのは職場内部会の結成と運営ですが、これも戻るポイントがあったからです。
 
 
 
【動機② From I のために】
 もう1つの理由はマネ友のつながりを絶たないためです。
 2011年度同期の有志で参加翌年から今でも年に1回早稲田に集まってダイアログをする「From I」というのがあり、私はここで連絡員をやっています。今の部会にも参加してその様子を伝え、お互いに刺激を与えあい、自分の職場で実践研究を重ねる集まりであり続ける。そのために運営委員として現在の部会に接し続けている面もあります。
 
 他にも、私は運営委員では唯一の2011年度部会参加なので、同期とはまた違ったつながりがJR高田馬場駅付近でできることも楽しみにしていますし、実際に運営委員になったことで親しくしていただいていることに感謝しています。
 
 
 
【求められる役割ってなんだろう?基礎自治体職員の強み】
 上手く書くのは難しいのですが、運営委員は幹事団の部下ではないと思っています。
幹事団とは違う角度から部会を盛り上げ、参加者の皆様に何かを持ち帰っていただくために幹事団とともに歩む存在ではないかと。
 
 私は出馬部会長、佐野幹事、白井幹事、佐藤幹事、渋谷幹事からとても大きな影響を受けました。今でもとても感謝しています。
教えをいただくばかりではなく、私が運営委員として貢献できることは何か。それは基礎自治体の職員として日々の業務を経験していることですね。
 
 例えば、福祉分野で勤務されている方なら、支援するご家庭を訪問した時に受ける感覚をご存じでしょう。
用地(移転)交渉をするお仕事をされている方でしたら、初めてお伺いするご家庭のインターフォンを鳴らすときの感触や心境をご存じでしょう。これらはおそらく幹事の皆様もご経験が無いことでしょう。
 
 以前よりも参加自治体が多くなり、総務や人事、企画といった部門の職員だけでなく、より幅広い自治体職員が参加している現在、ここに書いた感覚、感触や心境が日常であり、リアルである部署で勤務する参加者が発する言葉は、文字にすれば同じでもそのプロセスはそれぞれ違います。
 こうしたとき大所高所から寄り添い、ご助言をくださるのが幹事団であるならば、自らの勤務経験をもって聞き、同じ視点で寄り添うことができることこそが、運営委員にできること(強み)だと私は思っています。
 
 
 
【決めつけずに行きましょう】
 運営委員だから何かをしなければならない、何かやりたいというのは最初から特に決めなくてもいいと思います。
 この部会は、「こうであるべき」「こうでなければならない」って決めつけるようなものではなく、自由な場所だと思っています。
自由だからこそ責任を伴い、1人称で、価値前提の歩みを進めるのではないかと。
 
 運営委員でありたい理由としては、最初は部会に接していたい何かがあればいいと思いますよ。
そのうち見つかりますから。最初から決めつけちゃうと窮屈になると思いませんか?
ただ、理由はポジティブなものであるほうが良いと思います。
 
 
 
【運営委員になってよかったと思ったこと】 
 正直、自分で「これ!」というのはまだわかりません。
ただ、歳を取ったせいもあるのか、物事の正解を複数探すことや、あえて逆の立ち位置から考えることを習慣にできるようになったことはそうかもしれません。
 
 B‘zの曲に「イチブトゼンブ」というのがあるのをご存知の方も多いと思います。
 このなかの歌詞で「すべて何かのイチブってことに僕らは気づかない」ってあります。
なにかを進めていくための正解はいくつもあると思うのですが、ともすると1つの取り組みが唯一の正解だと思ってしまうときもあります。
でもそんなとき視野を広げてくれるきっかけになるのも運営委員としての取り組み・・・というか、親しくしてくれる運営委員の言葉ですね。
 
 そしてこの曲の中には「愛しぬけるポイントが1つありゃいいのに」という歌詞もあります。
何か1つやり切りたい気持ち、何でもいいけど部会にかかわりたい気持ちが1つあればいいんじゃないかと思います。
それが私の場合は、先にも書きましたように、下手くそな論文だったけど、あのときの自分が書いたこと、そして書いた自分を嘘にはしたくないって思いですね。その想いとともに、今日も自らが所属する組織のイノベーションにチャレンジしています。
 
カッコつけましたが、適当そうに見えてどこか一途なところがある人って、なんかいいでしょ?そんな感じで。自分で言うな!って話ですが。
 
 顔ぶれを見渡すと、熱くて真面目な運営委員が多いなか、私は緩くて異端だと思うのですが、そんな私が大隈講堂で運営委員代表のスピーチに指名されちゃうんですよ。
 こんな「イカしたオヤジ」を目指す私でも受け入れてくれる部会と運営委員っていいと思いませんか?というまとめ方で今日のところはいかがでしょうか?
 
 
 
(静岡市・一瀬 剛さん)

私にとって部会とは?運営委員とは?~運営委員のススメ~(精華町役場・吉岡 満さん)

今回は特別に、運営委員に参加にあたっての思い、参加して学び得たものなど、マネ友にご寄稿いただきました。
 
 
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 2017年4月26日、我々に何が起こるのか?興味津々だったり、少し不安げだったりした2017年度の研究生のみんなと同じような表情で運営委員としての初日を迎えました。
事務局の青木さんの顔を見つけ、知った顔に安堵したのも束の間。
 
「あ、やるべき事は自分で見つけて下さいね。」
 
私が何か仕事を欲しがっているのがバレたのでしょう。
そんな初日から始まった運営委員としての2017年度人材マネジメント部会への係りに繋がる動機は単純なものでした。
 
 
 私が参加させて頂いた京都会場において、昨年度、運営委員として事務局のお手伝いをされていたのが、先輩マネ友であり、京都府南部のハミダシ公務員の雄、和束町の馬場さんただ一人でありました。
人マネ研究生として参加させて頂く中で、青木さんと馬場さんが手際よく、準備を進めたり受付を行なったりされているのですが、とにかく人手が足りないのは明白で、それぞれ、忙しそうに1人何役もこなされていた印象があります。
 
 2017年の3月に共同論文を書きながら思ったことは、私たち研究生の学びはどれだけ多くの人に支えられて築かれたものだろうか?という事でした。
とりわけ、京都会場の事務局の忙しさを知る私がやるべき事はコレだと感じました。
 
 
 
 こうして、冒頭の様な新米運営委員の1年は始まっていったのですが、運営委員として参加させて頂くと、前年度、研究生として参加させて頂き、必死に研究をした時に見えていた景色とは違う景色が見えてきます。
 
幹事団が全力で創る研究の場において、研究生の学びを可能な限り一滴も零さず持ち帰って頂ける様にするお手伝いをする中で、幹事団の方々、現役研究生の方々、事務局の方々に加えて、事務局と共に裏方で支えていてくれた全国の運営委員の方々から、本当に多くの気づきと学びを得た1年となりました。
 
 ふと、顔をあげると、私たちを取り巻く時代の変化が激流の様な速さ激しさになっていると気づきます。
しかし、私たちはどうでしょうか?時代の変化に対応できているのでしょうか?
2000年に地方分権一括法が施行され18年が経った現在、何がどう変わったのでしょうか。
 
権限移譲で仕事が増え、コンプライアンスにアカウンタビリティなど、求められることは高度に複雑に煩雑になって参りましたが、私たちは本当に自治体の職員として、それぞれに特色のある地域を活き活きと輝かせる事ができているのでしょうか。
そこに暮らす方々が本当の笑顔で人間らしく生活して行く為の仕事ができる組織を構築するには、常に時代の変化に対応し学び続ける必要があります。
山積する業務をこなす事に加えて時代の変化に対応できる学びの必要性。こうした事に気づいた人からどんどん笑顔が消えていきます。
マイノリティだからです。孤独だからです。できれば、これまでどおり、(敢えてこの表現を使います)上位官庁から降りてきた内容に沿って、それをこなしていたい。それだけでも精一杯だからだと思います。
 
 
私は思います。
「我々の組織が笑顔で溢れてなければ、どうして地域を笑顔に出来ようか」と。
 
 
こうした状況を少しずつでも変えて行けるのは、組織変革の必要性に気づいた者たちだと思います。
常に新たな学びや気づきを得て自分たちの組織に還元する。そうしたプロセスを経る中で、志を同じくする仲間を得て、道は険しくとも理想の地域を創造できる組織へと改革は進んでいくのではないでしょうか。
 
仕事は厳しくとも仲間たちと理想を追求できれば、自ずと笑顔溢れる組織になるのではないでしょうか。
私はその中の一人でありたいと思います。
 
 
 「なぜ人マネ部会は研修ではなく研究なのか?」
 
 もし研究を続けたいならば、運営委員という選択は必ずや研究継続のための糧になります。
共に周りに本当の笑顔が溢れる世の中の為に研究を継続しましょう。
 
 
■あとがき
 
自分が人マネ運営委員に参加した一番の動機は書いた通りの理由でしたが、今振り返って自分自身に問うてみると、ほとんどお会いできなかった出馬部会長(京都会場は鬼澤部会長代行と伊藤幹事が中心でした)やお世話になった鬼澤部会長代行、伊藤幹事をはじめ幹事団の方々、事務局の方々と、ここでお別れするのが嫌だったのではないか?少なからずそんな事を改めて思っています。
 
熱く優しい出馬部会長のお話しでメロメロになり、鬼澤さんのカッコイイ背中に惚れ、伊藤さんの知識やファシリテーション他、たくさんの魅力とお別れできなかったんじゃないかなと思います。そんな尊敬する方々に認めてもらえる様な自分になりたかったのかなぁ。
偉大な幹事団の方々や既に地域でバリバリ輝いている運営委員の先輩方の背中を追い続けたいと思います。
 
 
 
(精華町役場・吉岡 満さん)

年度末に寄せて〜退職者からもらった最後のメッセージ

特別寄稿:熊本県庁 和田大志さん
 
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「といいながら、私はあと5カ月です。
 皆さんの若い力に大いに期待していますよ」
 
ちょうど5カ月前、このメールを部長級のある先輩(以下、Aさん)からいただいた。
 
自主活動を行う自分たちにとってこれほど嬉しく、そして、背中を押されたメールは無かった。
 
 
「といいながら…」で始まるこの文面の裏には、付随する物語がある。
今回は、熊本県職員で立ち上げた自主活動グループ「くまもとSMILEネット」の挫折から再起に至る1つの物語を紹介したい。
 
 
■若手職員への暗黙知の伝承
 
年度末が近付き、どの組織にも、定年退職などお世話になった方々との別れの季節が訪れる。
SMILEネットでは、H24年度から「退職者からのメッセージ」と称して、若手職員にその暗黙知を伝承する場づくりを行ってきた。
 
 

 
 
語らなければ消えていく“暗黙知”をいかに引き継いでいくか。
特に、その当時は年齢構成として若手職員が極端に少なく、退職者が多い傾向にあった。
 
「このままでは、組織にノウハウや暗黙知が蓄積しないのではないか。」
 
そう思った私たちは、伝承のための場づくりを始めた。
 
 
SMILEネットが取り組んだ場づくりには3つの特徴がある。
 
1つ目は、複数の退職される先輩方を同時にお呼びすること。
 
若手にとってはたくさんの先輩の話を一度に聞けるメリットがあり、主催者としても、本庁や出先など職場を問わず、あるいは役職や職種に関わらず、引き継いでいくべき「暗黙知」が有ると考えていたためである。
 
2つ目は、単なる講演形式ではなく、「ワールドカフェ形式」にしたこと。
 
若手が気軽に参加できるようにする狙いと、退職前でお忙しい先輩方に講演資料の準備など、余計な負担をかけたくないとの気持ちがあった。
実際にやってみると、先輩方からも「その方が助かるよ」と参加を快諾いただくケースが多かった。
 
3つ目が、ムービーによる「見える化」と「共有」である。
 
暗黙知を組織のDNAとしていくためには、当日参加してくれた職員はもとより、職員全体で共有していく必要がある。
その場の「気づき」をいかに広め、浸透させていくか。そこで思いついたのは、「動画(ショートムービー)」にまとめて、全職員が閲覧可能な庁内システムの掲示板でシェアすることだ。
 
 

 
 
日頃から、自主活動のお知らせやレポートを掲示板に掲載することに寛容な文化が熊本県庁にはあったため、そのハードルは高くなかった。
むしろ、動画を見た同僚、上司から「あのムービー感動したよ!」「本来なら人事課がオフィシャルに取り組んでも良い企画だよね」などの感想をいただいた。
 
 
■順風満帆から4年目の挫折と葛藤
 
その後、3年連続で開催し、順風満帆に進んでいるかのように思えた。
そして、次はどなたにお願いしようかと考えていた4年目に、思いがけず1つの挫折を経験することになる。
 
退職を予定されていたある先輩に相談に行ったところ、1分も経たぬうちに断られたのである。その理由は次のとおりであった。
 
『あなた達の取組みは知っているけど、私はこういう場は好きじゃない。
 
その日会ったばかりの人に伝えられるほど簡単なものではないし、何より、伝えたいことは、これまで一緒に仕事をしてきた後輩たちに、仕事を通して伝えて来たのだから。』
 
 
■「仕組み」と「仕掛け」の違い
 
これまでも遠慮される先輩がいなかったわけではなく、特に気にしなければ、別の方に打診するところである。
しかし、不意に投げかけられたこの言葉に、私はガツンと頭を殴られたように感じた。
なぜなら、これまで自主活動に取り組んで来る中で、「仕組み」と「仕掛け」の違いを意識し、最終的には「仕組み」として組織に落とし込んでいくことが、風土改革には大切であると重々承知しているつもりであったからだ。
 
自分たちがやって来たことは、何となく良さそうなことをしていただけではないのか。
耳触りの良い「仕掛け」をやっているだけで、「仕組み」としてアプローチ出来ていなかったのではないか。
その葛藤が頭を離れず、4年目のプロジェクトは断念。その後、熊本地震を挟み、2年間の充電期間を経ることになる。
 
 
■葛藤の中で受けた一通のメール
 
熊本地震への対応が徐々に落ち着きながらも、なかなか次の一歩が踏み出せない状態が続いていた。
その時、思いがけず一通のメールに出会う。冒頭に紹介したAさんが、昼休みに若手職員を対象とした「ランチdeゆるト~ク」なる勉強会を開催するとの内容であった。
 
 

 
 
具体的には、昼休みに互いに弁当を食べながら、ベテラン・中堅職員から仕事の進め方やノウハウを伝授していただくシリーズ開催(毎回約20人が参加)の集まりである。
こうした勉強会を若手が開催することは珍しくないが、「幹部職員が若手のために」というのは、あまり聞いたことがない。
 
暗黙知の企画を始めた時から5年が過ぎ、若手職員の採用が以前より増えている時期でもあった。
 
「これからは、若手の育成がさらに重要になる。」
 
寺子屋のような学びの場づくりを目指していたこともあり、早速、参加を申し込んだ。
実際に参加してみると、他にも多くの若手が集まっており、ベテランや中堅の先輩方が自分の仕事術や信念を語り、若手がそれを学ぶ。目指していた姿がそこにあった。
 
主催したAさんにどうして始めることになったのかを尋ねると、
「仕事のノウハウは、人と組織の大事な(知的)インフラ。若手の皆さんに伝えたくて、ささやかながら、退職前にやろうと思ってね」
との答えであった。
 
翌日、Aさんに感想を送った。
 
「すごく良い学びの場でした。
自分もこういう場を作りたいと思っていたんですよ。
先を越された~というのが正直な感想です。」
 
すると、Aさんから思わぬメールが帰って来た。
 
『実は“先を越された~”と思ったのは私の方なんですよ。
数年前、あなた達が退職者と語る企画を始めたのを知りました。
その時、こういう企画をやらないといけないのは自分たちの方だったんだと思い、遅まきながら、始めたんですよ。』
との内容であった。
 
 
そして、メールはこう続く。
 
「といいながら、私はあと5カ月です。皆さんの若い力に大いに期待していますよ」
 
 
■6年目の再起〜踏み出す「勇気」とやり続ける「根気」
 
それから、しばらく経ったH30.3.19、先輩職員5名と若手職員30名が集まり、4回目の『退職者からのメッセージ~暗黙知の伝承』を復活開催することができた。
そこには、まっすぐな目で先輩の話を聞く若手の姿と、真剣に、そして少し嬉しそうに、これまでの経験や大事にしてきた信念を語る先輩方の姿があった。
 
 

 
 
背中を押してくれたAさんからの一通のメール、迷いを決心に変えてくれた同僚、そして、年度末の忙しい時期にも関わらず、復活開催のために力を貸してくれたSMILEネットメンバーのおかげである。
 
しかし、時間は待ってくれず、約束の時間が訪れる。
最後の問いを投げかけた20分、終了時間を知らせるマイクを隠したくなった。
この価値ある時間を自ら区切るのが惜しくなったのである。
 
 

 
退職する先輩方を見送るドアで、一人一人と握手を交わした。
その握手で、改めて、大きく力強く感じた先輩方に、自分たち若手は近づいていくことができるだろうか。
しかし、それは杞憂であることを回収したアンケートが教えてくれた。
 
 
■「仕掛け」と「仕組み」をつなぐもの
 
葛藤の中で、考えたことがある。
「仕掛け」と「仕組み」の違い、そして、その2つをつなぐものについて。
 
「仕掛け」自体が、すぐに「仕組み」に変わることはない。
 
しかし、1つの「仕掛け」を続けていくことで、その組織の「風土」や「文化」として根付いていく。
いずれ、この対話の場が、組織としてのオフィシャルな取組みに進化するかもしれないし、暗黙知を伝承するための何かが制度化されるかもしれない。
それを媒介するのは「人」、つまりは私達、職員である。
 
今回のように、1つの仕掛けは、次の流れを誘発する。
それは、別の「仕掛け」かもしれないし、「仕組み」かもしれない。
ただ、その転機は不意に、何の前兆も無く訪れる、ということを今回の経験で学んだ。
 
それならば、単なる「仕掛け」だとしても、その時が来るまで根気強く、自分達が大事だと信じることを続けていく必要があるのではないだろうか。
勿論、やみくもに続けるということではない。
そこには、ビジョンや戦略も必要である。
なぜなら、葛藤していた2つはトレードオフの関係ではなく、つながっているということに、改めて気づいたからである。
 
 
■最後に
 
そして、いよいよ年度末を迎える。
お世話になった方々との別れの季節である。
 
「といいながら、私はあと5カ月です。
皆さんの若い力に大いに期待していますよ。」
 
読み返した冒頭のメールが、もう1つのことを語っているように感じた。
 
「自分達がその立場になるまでに、何を残すことができるだろうか。」
 
笑顔で旅立つ先輩達から、大事なバトンを受け取った気がしている。
 
 
(終)
 
 
特別寄稿:熊本県庁 和田大志さん