『経営幹部合宿の場でいつも考えること』


私の仕事の1つに、大きな会社の幹部層を集めて、合宿形式で語り合う場に呼ばれる、ということがあります。いわゆる役員・部長合宿のファシリテータを頼まれる、ということなのですが、20年前ぐらいであればファシリテーションに徹すれば良かったところを、余裕がなくなっている今では、戦略議論が詰まった場合はコンサルタントとして、悩み深き参加者に対してはカウンセラーとして、方向性が定まり、後押しが求められる段階に入ったらエグゼクティブコーチとして様々な役割を演じることが求められます。

そのような活動をしていて考えさせられることがあり、ここではそれを少し記したいと思います。

大手企業の役員や部長という幹部とはどのような人々なのでしょうか。一般の社員層からすると、高い給料をもらい、秘書がついていろいろなことを指示命令できる、夢のような立場だなと思う方も少なくないかもしれません。いや、会議会議の連続で、自分の自由になる時間などほとんどないのではないか、という側面が気になる方もおられるでしょう。そのいずれも間違っていない、確かにそのような側面はあるでしょうね。

私が記したいのは…、「幹部は皆、自分自身のことが良くわからなくなっている」ということです。

もちろん人によって”わからなさ”の度合いは違います。少しわからなくなっている人もいれば、大混乱している人も居られます。しかし、おしなべて全員なんらかの形で自分自身を見失っている人だと私には思えるのですね。

では、どのようにわからなくなっている・見失っているのでしょうか。

① 全体を考えられると思ったのに、部分のことばかり責任を押し付けられる

あくまで仕方がないのですが、部長であっても役員であっても、”担当”領域や機能があります。それがないのは社長だけ。経営層といっても結局役割を分担している一人ですから、全体を担う感覚が薄れるのは仕方がないこと、ともいえます。しかし、それに拍車をかけるのが、世代間・上下意識の問題です。

つまり、社長や副社長からすれば今の執行役員や部長クラスは自分が課長だったころの平社員、部長時代の係長です。ということは、任せたことをどれだけきちんとやってくれるのか、が肌感覚として残っており、社長がそうであれば、部下としての役員・部長も、昔の感覚を思い出してそのように立ち居ふるまってしまうことになります。いつまでたっても全体最適思考など持ち得るわけがないですね。

そのわりに、後継者を誰にするかを考えている瞬間の社長の目線からすると、急にそれらの役員・部長の姿が小さく思え、「皆もっと全体のことを考えてくれ!」と苦言を口にしたくなる…? それは社長ご自身にまず問題があるのでは…?

② 自分の自由になることが増えると思っていたら、全くそうではなかった

スケジュールを自分自身で決められなくなることにはほぼ全員がびっくりされるようです。自分が参加したことのある会議だけでなく、社内にはこんなにも様々な会議体があるのか、と驚くことはまだ序の口で、その事前交渉の場としてのミーティングや面談の要請は矢継ぎ早に入ってきて、どんどん考える時間や物事を書き記す時間がなくなってくるという実態に目が回る新任役員・部長は思いのほか多いと思われます。

部下からすると意見や決裁を求めたいと思っても役員や部長が席にいないことがほとんどで、スピーディな仕事を阻害する要因にしか見えなくなってくるという弊害もあります。よしんば、多忙な時間の合間を縫って本人を捕まえられたとしても、次の会議のことを心配して意識ここにあらず・実のある助言などとても貰えない、という経験は多くのスタッフが経験されていることでしょう。

組織として観た場合、このような情景が当たり前になっていること自体が大変な問題です。

③ 全社経営に近づけない一方で、現場からも遠くなり、何も見えなくなった

現場の動きは早く、少し離れていると自分の出身母体のこともよくわからなくなります。むしろわかるはずと思っていたことがわからなくなるショックの方が大きく、もはや自分は別の風景を観ながら過ごさなければならないのだという覚悟を迫られ、愕然とする方が居られるようです。

担当者から課長になったあたりでそのような覚悟に対する決着をつけ、プレーヤーであった自分を懐かしむことに時間をかけていればそのようなことは無いのでしょうが、多くの場合、役員や部長までかけあがってきたこれまでの方々の経歴からすれば、スーパープレーヤーとして名をはせ、誰よりも貢献してきた業績の高さ=プレーヤーとしての勲章だけが誇りであった方も多いため、いよいよ(現場から遠くなってしまったことを発端とする)”やり場のないむなしさ”は広がってしまうのだろうと思います。

役員合宿やコーチングなどの場でご自身のことがよくわからなくなっている・混乱している、という姿を多くみるにつけ、この経済社会が持ち合わせている目に見えない虚無感、というものを私は感じてしまいます。誰もが一生懸命であろうとしているのに、良かれと思って頑張っているのに、どうしてむなしさが生まれてしまうのだろうか…、私自身は微力な存在ですけれど、何とかしたいと思ってしまいます。

この場の結論として記しますが、私は次のようなことを企業経営者・幹部層に対して粘り強く伝え、訴えていきたいと思います。

「課長から部長、部長から役員の節目で、それまでを振り返り、しっかりとスイッチを切り替えて、新しい役割と責任に向けて覚悟を定めていきましょう。担当を持っているから、といってそれに拘りすぎるのではなく、まず社長の目線に立つ努力をし、そこから全体を俯瞰してみて、課題を認識してから自分自身の担当のことを考えましょう。現場を変えなければ組織は変わりませんが、もはや役員・部長としての自分は現場のこと・そこで起こっている現実のことを深くはわかりません。それは仕方がないことです。それはそれで覚悟をし、何を目指したいかを示し、対話で分り合ったあとは、そこに到達する具体的な方策については部下に任せていきましょう。結果の責任は自分がとる、というところだけは明確にし、自分は部下が見切れていない少し先のこと、横断的なこと、に気を配り、部下の考えや動きを助けることに徹していくようにしましょう。それが一番です。それが物事を一番うまく進めていって成果を生める最善最良の道です。同時に、そうすることでご自身の心の中に余裕のようなものが生まれ、社長とも、部下とも、同僚とも、笑顔で接していくことができるようになるでしょう!」